中国舞踊について
中国舞踊は大きく2つに分類されている。それは古典舞踊と民族舞踊である。
周代の宮廷で歌舞の記録が多く見出せる。唐代に舞踊は最盛期を迎えた。中原(古代の中心地である黄河中流から下流にかけての地)の音楽や歌舞を基盤にし、東西の文化交流から、外国の音楽と歌舞が入ってきて、さまざまな楽舞が創られた。
中国は多くの少数民族からなる。漢民族以外でも、およそ五十五の少数民族に舞踊が伝承されている。少数民族における舞踊の多くは、生活と関連し、労働、戦争、愛情、信仰生活などが反映されている。広々とした内モンゴルの草原では、馬は牧畜民のよき友であるため、モンゴル族には馬を題材とした、勇壮な踊りがある。人馬一体となって、無限に広がる大草原を疾走する姿が踊られる。また鷹の踊りでは、羽根を大きく広げた鷹が空高く舞い上がり、蛇と戦う。勝利をおさめると、歓喜しながら、雄々しさを踊りで表現する。
中国西南部の国境一帯に住んでいるタイ族、イ族、ヤオ族などには、しなやかな手の動きや軽快な足の動作がみられ、楽器を持って踊るのが特徴である。
ヤオ族の長鼓舞は家を建てるときの踊り。安香炉は家を建てて村を作るときの踊り。四門開鎖は荒れ地を開拓するときの踊り。連花蓋頂は豊年祝いの踊りである。
雲南省のイ族に見られる三歩弦という歌舞は、左に三回まわると牧歌になり、右に三回まわると種蒔きを表す。舞踊の動きが、天地の働きをも表現している。
少数民族には動物を神とするトーテム信仰が舞踊と結びついたものが多い。雲南省のタイ族やチンポー族には孔雀舞が伝えられている。
1人、あるいは二人の男性が、頭に菩薩金冠を載せ、顔には金剛仮面を被り、腰に彩色した紙や花布を着けている。両手には孔雀羽や尾を引く糸を持ち、象脚鼓や銅鑼の音にともなって、優美な孔雀の動作を演じる。孔雀舞はもともと仏教の祭礼のときに踊られ、タイ族の人々は孔雀を見ると吉祥と考えている。大自然のなかでの美しい孔雀が舞踊として表現されてきた。
新疆ウイグルのクチャ地区は、古代から亀茲としてしられて、豊かな文化を持ち、肥沃んな土地であった。この地はシルクロードにあったため、経済的にも文化的にも中国と西洋諸国との密接な交流が行われたところでもある。こうした文化交流のなかで、クチャの人々は独特の音楽と舞踊を発達させた。
現在、クチャに伝えられている舞踊は、イスラーム文化を背景にしたアラブ、イランなどの音楽の影響を受けて、使用している楽器もアラブ音楽の旋律を使って演奏している。
千仏洞の壁画には亀茲舞が描かれている。この舞踊を模したクチャの舞踊は、軽快なリズムのなかで、回転を中心として躍動的に表現される。踊り手は手を高く上げ、足や腰の柔軟な曲線美は、西域における胡旋舞を彷彿させる。
また、壁画にみる飛天舞は、飛び上がる姿を誇張して描かれている。飛天は片脚で立って、帯をなびかせて、旋回して踊っている。
さらに、壁画の舞踊はウイグル族の舞踊にも似ている。その舞踊では、上肢動作が多く使われていて、とくに手をはやく動かす動作や踊り手が特徴である。
こうした動作も壁画に見出せるので、ウイグルの舞踊にみる基本動作は、壁画の舞踊図に遡れるといえる。色とりどりの帯、花縄、飾り房などを手にした踊り手の衣裳も壁画図にみえる。
収穫や神の加護を祈るマシュラップの踊りは、イスラーム圏に広く見られる。村人が集まって円陣になり、次から次へと踊り手を中央に誘い出して踊る。好きなステップで喜びを表現する踊りが特徴である。
なかには、頭の上に茶碗を乗せて踊る頂椀やランプを載せる頂灯など、曲芸的なものもあるが、これらはトルコやほかのイスラーム圏にも見られるものである。
踊り手が踊りながら音を鳴らす舞踊がある。男性がサパイという木の棒に鉄輪をつけ、それを肩に当てながら音を出し踊る。また二本のスプーンを箸のように手にはさんで、音を出しながら踊るときもある。
一方、女性の踊りは、両手に皿をもち、指先にはめた金属の指輪でリズムを打ちながら踊る。沖縄舞踊にみるような四つ竹を打ち合わせて踊るのもある。